日本の英語教育改革とCan-doの意味
〜英検Can-doリストに大いに期待します〜

上智大学 外国語学部長 吉田研作
上智大学 外国語学部長
吉田研作 先生

 日本の英語教育は今正に、様々な改革の真っ只中にある。小学校からの英語教育の導入が目の前に 迫ってきた。高校現場では、SELHi(Super English Language HighSchool)の指定が、今までの英語科、 国際科中心から、普通科へと移行してきた。公立の中学高校の英語教師の悉皆研修も4年目に入り、 少しずつではあるが、教員の意識変化が見られるようになってきた。 また、高等教育では、ここ数年の間に、秋田の国際教養大学、立命館アジア太平洋大学、早稲田大学の 国際教養学部などが新設され、授業を英語で行うところが増えてきた。

 このような変化の中で、今最も求められているのは、小学校から大学までの 一貫した英語教育の在り方の策定だといえる。小学校の英語教育は、中学校との接続、 連携を抜きに考えることは出来ない。今までは、中学校が英語学習のスタートラインだったが、 これからの中学校英語は、小学校で体験し、修得された英語力を土台に、 それを更に伸ばすという役割を担わなければならない。中学高校についても、中等教育学校の 設立等に見られるように、既に、6年間の一貫教育、という枠の中で捉えなおす必要が 出てきている。そして、SELHiの卒業生が大学入学後、大学の英語教育のつまらなさを 嘆いていることからも分るように、高校までに身につけた英語力を、大学がどう伸ばすか、ということは 今後の高等教育にとって、大きな課題である。

 このように見ていくと、現在まだばらばらに捉えられている英語教育を、小学校から大学までの、 一貫した、筋の通ったものにしていかなければ、どんなに個々のレベルでばらばらに英語教育改革を行っても、 結局は破綻してしまうだろう。

 近年、日本の子どもたちの学力低下が問題にされ、その原因を、ゆとり教育の「失敗」に求める機運があ るが、果たして、本当なのか、疑問がある。教育課程実施調査が国立教育政策研究所によって 数年毎に実施されているが、その結果を見る限り、旧教育課程(ゆとり教育の前)と 新教育課程(ゆとり教育、総合的学習の時間、週5日制)の調査で共通問題として出されている 問題の通過率は、旧教育課程よりも新教育課程の方が高い(特に小学校)ことが分る。 中学英語についても、どちらかというと新教育課程で学んだ子どもたちの方が通過率が高い。 つまり、ゆとり教育の成果として期待されていた「基礎基本」の修得に関する限り、それなりの成果が 出ていると言えるのである。

 ただ、ここで問題は、中学英語が時間数が減り、旧課程と比べて教えられる内容が減ったにも かかわらず、高校英語の出発点が、必ずしもそれに合わせた形で下がっていない、 ということにある。学習指導要領の記述としては、中学で学んだ英語を基礎に更にそれを 伸ばすことにはなっているが、教科書自体は、必ずしも中学とうまく接続していない。 中学3年の教科書と高校1年の「英語I」を比較してみると分るが、中学英語がオーラル中心になっているの にも関わらず、「英語I」は(本来4技能全ての統合的科目であるはずなのに)リーディング教材 として使われているのが普通で、英語のレベルは、中学とかなりの開きがあると言える。 高校英語でも、「オーラル・コミュニケーションI」の方が、中学英語との接続がうまく 行っているように思えるが、高校現場では「英語I」により重きが置かれているのである。 つまり、中学では、基礎基本は出来ているが、逆に天井が下がっているために、高校との接続が うまく行かない、という現状が見られるのである。

 以上のようにみていくと、今後の学習指導要領の改訂にあたって、小・中・高、そして大学までも 視野に入れた、互いにつながりのある、一貫したカリキュラムとシラバスが必要だとい うことがわかるだろう。問題は、そのような一貫性のあるカリキュラムやシラバスをどうやって 作るか、ということである。

 ヨーロッパやアメリカを中心に、もうかなり前から取り入れられている考え方に、 competency-based language teaching (Richards & Rodgers,2001参照)というものがある。 これは、従来のような言語構造を基本としたものと違って、例えば、初級、中級、 上級で、それぞれどのような英語運用能力(スキル毎)が求められ、 そのためにどのような言語知識等が必要かを記述することにより、英語教育の目標、 評価、教授法等の策定の基礎となるものである。例えば、初級者は、 「日常的な場面で挨拶ができる」(スピーキング)という記述があり、上級者は、 「外国の人と複雑な課題についても対等にディベートができる」、という記述が あったとすると、それぞれの英語運用力に必要な言語知識、談話知識、 社会言語学的知識等の下位要素が付け加えられていく。最後には、初級から上級まで、 全てのスキルについて、このような記述が作られ、それを基に、それぞれのレベルの 目標設定が行われ、評価基準が策定されていく。

 このようなcompetency-basedな考え方は、まず、ある一定レベルの英語力があると 認定された人が、実際にどのようなことを英語を使ってできるか(Can-do)を調査 することから始まる。今回、日本英語検定協会が発表したCan-doリストは、 正にそれである。1級の人が英語を使ってどのようなことができると言っているか、 2級の人とどう違うか、という具合に。このCan-doは、あくまでも今1級を持っている人が 英語で何が出来る、と答えているか、なので、1級を取ったら同じようにできる、 ということではない。しかし、今まで1級を取った人がこのようなことが出来る、 あるいは、出来る「自信がある」、ということは、自らの英語力を伸ばそうとしている 学習者にとっては、具体的な「目標」になるだろう。

 ただ、注意しなければならないことがある。「1級を取れば、外国人と自由に 英語で交渉できる」のではなく、「外国人と自由に交渉するだけの訓練をした人が、 1級を取れる確率が高い」という点である。テストは何でもそうだが、テストの点数が 良ければ、何かができる、というのではなく、何かができるようになった人は、 テストで何点取れる、ということなのである。

 さて、日本の英語教育に戻るが、今まで英検では1つの目安として中学卒業程度を 3級、高校レベルを準2級、高校卒業程度を2級、というように、数字という目標で 示してきた。しかし、その級がどのような英語運用力を表しているかについては、 殆ど何もわかっていなかった。単に級を取ることだけが目標になっていたことが よくあった。しかし、今回のCan-doが示されることにより、英語で何が出来るようになれ ば、2級が取れる確率が高くなるか、という具体的な運用目標が明確にされるのである。 これは、また、小学校から大学までの一貫した英語教育のカリキュラム・シラバスの 策定に際しても、具体的な英語運用力に基づいた、より説得力のあるものになるだろう。 そして、小学校と中学校、中学校と高等学校、高等学校と大学の接続についても、 よりスムーズな移行が可能になるだろう。小学校卒業時には、英語で何々ができる 確率が高い、そして、中学、高校、大学においても同じように、具体的な英語運用 能力に基づいた目標が立てられるはずなのである。

 日本の英語教育に英検が果たしてきた役割は非常に大きい。そして、今回、 日本英語検定協会がこのような形で、Can-doを明らかにしたことは、今後の日本の 英語教育の具体的な目標設定、そしてそれに至るまでの過程を明確化する上で大きな意味を 持っている。単に何級を目指す、ということではなく、「何が出来るようになれば、何級が 取れる可能性が高くなるよ」という、より英語運用力の育成と直結した指導が可能になるだろう。

 今後の活用を大いに期待したい。

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