T.Mさん(香川県)無職

4級合格

60歳で高校入学、英検にもチャレンジ。
卒業した今も第2の青春を謳歌する日々。

定年退職後、郷里の小豆島で定時制高校に入学。英検を始め、様ざまな資格や技能にチャレンジを続けているT.Mさん。「いまが青春」を絵にかいたようなT.Mさんの日々をお訪ねしました。

外国航路の操舵手として、洋上生活30年

中学を卒業後、海の男になるつもりで海員学校に進学。ところが海員学校卒業の年、海運業界は合併の影響で新卒採用が見送られ、仕方なく実家のある小豆島に戻り、家の手伝いをしながら定時制高校に通うことにしました。

定時制の2年になった時、念願の就職が決まり退学。それから30年近くを洋上で過ごしました。外国航路の操舵手だったので、世界各国をめぐりました。他船や港との連絡は英語が基本でしたが、相手方も英語圏じゃない場合もあるし、命令的なことが多いので、そのレベルのことは仕事柄覚えましたが、きちんと話したりすることは全くできませんでした。

40代後半の頃、船を下りて神戸の関連会社に勤務。阪神大震災の前のことです。震災が起きた時は、幸運にも母の法事で小豆島に帰っていました。1月16日が法事で、翌日が大震災。命拾いをした思い出です。

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60歳の高校生、香川県代表として全国大会にも出場

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60歳で定年退職した後、小豆島に帰郷。その時、中途退学した小豆島高校の定時制がまだあるのか気になって訪問したことが、人生2回目の高校生活の始まりになりました。入学試験があるというので、急ぎ中学の総まとめの参考書を買って20日間くらいで猛勉強。晴れて60歳の高校生の誕生です。同級生は10代の若者ばかり、孫のような世代です。先生も息子や娘の世代ですから、校外学習の時など私のほうが引率の先生に間違われました。

高校生活は楽しかったですね。10代の頃、一度中退していますから、忘れ物をしたような気持ちだったのですが、一挙に取り戻しました。部活動にも参加、砲丸投げです。定時制と通信制の高校の全国大会にも出場しました。東京・代々木の国立競技場の開幕では、香川県代表として選手団の旗手も務めました。その昔、建ったばかりの国立競技場をはとバス観光で観たことがあったのですが、40年以上を経て自分が選手として使うことになるとは思いもしませんでした。

「Practice」の意味さえ分からなかったのに、いまや英検4級

定時制に行ったお陰で英検だけではなく、その他の資格にもチャレンジすることができました。小豆島にはパソコンスクールなんかありません。でも学校に行けば教えてもらえる。分からないことは同級生に訊けばいい。最初は人差指でポツポツ打っていたパソコンも、卒業時にはパソコン検定3級を取得するまでになりました。

英検も同様です。英語の先生が「大丈夫、5級は受かりますよ」と言ってくれたので思い切って受験。5級が受かったので、4級にもチャレンジ、入学の時「Practice」の意味さえ分からなかったのに、英検4級を取得しました。ただやはり年齢もあるので、スピードについていけない。筆記試験は時間が足りないんです。時間がもう少しあればもっとできるのに、と思いました。リスニングやスピーキングはテープを聴いて、それこそPracticeです。4級をとったので、さらに上も取りたいとは思っていますが、いまは高校を卒業したばかりでちょっと一息入れたいと思っています。

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外国からの観光客に小豆島の良さを伝えたい

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英検とパソコン検定の他にもヘルパー2級の資格も持っています。これも近所の方から「勉強癖が付いているから受かるわよ」と言われたのがきっかけです。高松まで毎朝7時のフェリーで1ヵ月ほど通って資格を取得しました。家内も一緒に通ったのですが、その時は怪我をして断念。再度挑戦中です。これから年を取っていくので、夫婦お互いに老老介護のためにもこういう資格を持っておくのがいいと思っています。

いま島の観光スポットである映画村のなかで竹細工の実演をしています。指輪やストラップの飾りなどを竹細工で実演しながら、観光客の方に差し上げています。小豆島には外国からの観光客も来ます。先日はバスに乗り遅れた外国人が「Help me」と言うので、私の車で送ってあげました。英検もさらに上の級を取得して、ゆくゆくは外国から来たお客様に小豆島の良さを伝えたい、そういう目標も持っています。まだまだゆっくりはできませんね。