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■素直じゃないから向いている? 破天荒な先生誕生!「最初から英語の先生を目指していたわけではありません。高校を卒業する前に進路選択をしなくてはならないでしょう。実家が散髪屋で、オヤジには、人間は髪が伸びるもんだ。お客様に失礼なことさえしなければ、くり返し来てくれる人がいる。腕を磨いていい散髪屋になれ、と勧められたのですが、こんなんして、一生、終わるのはいややなあ、と。」
とはいえ、自分には何ができるのだろう。高校の成績表を改めて開いてみるが、どの教科も自慢できる成績ではない。唯一、英語だけが「まあ普通」。進学するとしても、家庭の事情で、アルバイトをして学費を稼がないとならない。となると、目指すは学費の安い国立大学。猛勉強の末、なんとかもぐりこんだのが、地元の島根大学教育学部だった。 「先生を作り出す学部ではあるけれど、先生になる気はさらさらなく、きっと4年間通えば、英語をペラペラにしてくれるはずだと、いいように考えていました。けれども、授業に魅力が感じられない。そして、立派な教育者になるための知識やノウハウも身につけられませんでした。すっかりふてくされて、学生時代は音楽ばかりしてました。そんなわけで単位は落としてばかり。開学以来の大バカものと呼ばれてしまいまして…」 まあ、いいや。卒業したら、大好きな音楽関係の道に進もう。そう考えていたある日、また父親から諭される。 「音楽なんかじゃ飯は食えないぞ。それより、おまえは、ほんとに小さい頃から素直じゃないしひねくれているから、普通の勤めは無理に違いない。だから、えらそうなことを言える先生になれ。きっと向いているはずだ」 一見、むちゃくちゃなことを言う両親だけれど、なるほど、一理あるかもしれない。かくして、小学校で教育実習に参加したところ、意外に子どもを教えるのはおもしろい。しかし、同級生たちはみな受かったのに、自分だけが小学校教諭試験に落ちてしまう。 「仕方がないから、今度は中学校を受験しました。ところが、面接では、ドアにぶつかったり、英語で答えるべき質問に日本語で答えたりしてしまいました。まただめか…。と思っていたら、ほかの真面目そうな受験者は落ちて、今度はなぜか自分が受かりました。当時は学校が信じられないくらいに荒れていたので、少々破天荒な学生のほうが、現場では打たれ強いと思われたのかもしれませんね」 ■体当たりの生徒指導 吹き荒れる校内暴力神戸の公立中学校への赴任当日。そこで目にした風景は、田尻先生の想像をはるかに超えていた。全国的に校内暴力が吹き荒れていた時代。教室では、生徒が両足を机に乗せたまま、漫画を読んでいる。部室ではシンナーをまわして吸っているし、眉毛もなく、頭にソリを入れた生徒が幅をきかせて廊下を歩いている。 「先生だろうと遠慮なく殴りかかってくるから、こちらも負けちゃいけないと、毎日、腕立てと腹筋をやり、6キロ走っていました。『お宅の生徒が、路上で暴れている』なんて通報はしょっちゅう。駆けつけると、シンナーの袋を片手に血だらけでブレイクダンスしているんです。ほんとうにこちらも命がけでしたよ」 若いから指導力はまだない。しかし、体当たりで向かってくる田尻先生に、生徒たちも徐々に心を開いていった。 「しかし、問題は学力。こんなに勉強ができない子がおったんかと思うほど、ひどい成績なのに、高校だけは行きたいと。それで、彼らの家に押しかけて、ムキになって教えました。わからなければ、夜中の2 時までやっていたこともあります。英語だけじゃなく、数学も国語も、わかるものはなんでも教えてましたね。あまりにもできなから、頭にきて2 階からノート放り投げたり、こっちが間違えると生徒7人がつかみかかってきたりと、それは大変な毎日でした」 ■月に1回の勉強会が情熱の英語教師の道へ
荒れた学校をなんとかしたい。しかし、当時、肝心の英語の授業で何を教えていたのか、ほとんど思い出すこともできない。なにしろ、おおみそかさえ野球指導で、夜11時からは部員と優勝祈願に初詣。翌日は、クラスの子を引き連れてまた神社へ、というように、お盆もお正月もなく、情熱はすべて生徒指導と野球部に注いでいたからだ。 「英語の教材研究なんてほとんどしていませんでした。自分の英語力もひどいもので、ボタニカルガーデンのことを『これはボタンの庭っていう意味や』なんて真顔で説明したら、かしこい子たちは、『なんてあほな先生や』と、教科書を閉じて塾の宿題をやり始めていました(笑)。後で、辞書でひいたときにはがくぜんとしましたけど」 授業がうまくいかない。生徒の成績は伸びない。31歳まではため息ばかり。そんなとき、家庭の都合で、島根に帰郷した。ところが、赴任した島根の学校で、いきなり職場から浮いてしまう。 「当然、また野球部の顧問ができると思っていたんですが、赴任先では『もう他の人がいるから』という理由で野球部を持たせてもらえなかったのです。神戸時代は市大会で優勝したこともあったので、校長に直談判に行ったら、口論になり、たちまちその噂が広まって職員室で孤立しました」 すっかり意気消沈しているとき、当時、島根大学の教授だった築道和明先生が、自分の研究室を解放して勉強会を開いていることを知る。近所の子どもたちに自宅を開放して無料の英語教室を運営するほど熱心で、小学校英語の草分け的存在である築道先生。その情熱にひかれて、学校が終わってから月に1回、その勉強会に駆けつけた。 「それぞれの学校の先生が、授業の中でこんな実践をした、と発表します。そのうち、隣の鳥取県の先生も参加するなど、熱意のある先生が集まってきました。僕にとって、32歳から英語の勉強をスタートしたようなもの。築道先生には、たくさんのことを教えていただきました。築道先生との出会いがなかったら、私は英語教育の道に進むことすらなかったかもしれません」 学んだことは大きい。一番の収穫は、「教えるな」ということ。先生がいくら教えても生徒はうまくはならない。授業とは、「何が問題なのか、どうしてできないのか」を考えさせる場なのだ。 「例えば、生徒たちと京都の嵐山に行ったとき、手こぎボートに乗る前に、10 分以上も乗り方を係の人が説明してくれました。しかし、実際に乗ってみると、生徒たちは、『まわるー、まわるー』と、クルクル回転するばかりで、ちっとも前に進まない。前の子と後ろの子が逆にこいでいたんですね。つまり、いくら説明しても実際にやってみないと頭に入っていないわけです。ですから、まず教えずにやらせてみる。で、なぜ進まないのかを考えさせる。それが一番、身につくのです」 ■教えるのではない 考えさせる授業を
英語習得のためには、ドリルをする→間違いを指摘してもらう→修正する→覚える、という流れが必要です。そうして初めて子どもたちは、自分の成長を実感し、達成感を味わう。教えるのは先生だけではない。生徒同士で教え合う。ヒントは出してもいいが、答えを言ってはいけない。いろいろな工夫をして、相手がわかってくれたとき、どちらもうれしい。 「今やっていることが、将来、どのようなことにつながるのか、見せていくことも重要です。役に立つのかどうかわからないまま生徒が勉強しても、はかどりませんから」 教科書をただ1ページずつやっていても意味がない。幹を見ずに葉っぱばかり見ている。それが日本の英語教育のだめなところだと、田尻先生は断言する。 「先生から、一方的にベクトルが出ているだけで、生徒も黒板をただ写すだけ。教科書を教えることが目標になってしまうと、夢がない。教育には生徒に夢を持たせることが必要なんです」 自身の授業では、ゲームやクイズをさせたり、映画などを教材としながら、中学生が興味を持つようなテーマを与えて討論させたりした。生徒が「ああ、もう少しやっていたかった」と思う楽しい英語の時間。中でも、シンディ・ローパーやエリック・クラプトンなどの英語の歌詞の意味を掘り下げていく授業では、曲に秘められた悲しさや深さに触れ、涙する生徒もいたほどだ。 「中学生は一生のうちでも、もっとも目まぐるしく価値観が変わる年頃です。社会に出て行くための準備として、いろいろな体験をさせるのが学校。授業には無限の可能性がある。以前は生徒指導や部活ばかり情熱を注いでいましたが、授業の中でも、生徒の心を深め、動かすことができるんです」 ■夢を持とう! 先生を助ける先生へ
がぜん、現場が楽しくなった。語学教育研究所からパーマー賞を受賞したり、『Newsweek』誌日本版の「世界のカリスマ教師たち」の1人に選出されたのはこの頃だ。生徒の目が輝く授業を見ようと、全国から見学者が後をたたない。 「その一方で、先生方の相談を受けることが多くなりました。そんなとき、『英語の教員を育てないか』という話が舞い込んだんです。ずっと現場でやっていきたかったので、かなり迷いました」 しかし、ある先生に「大学の先生は中高の現場での経験が少ないから、現場上がりの大学教員が必要だ」と言われ、また他の先生には、「あなたは140人の生徒を面倒見ているけれど、先生を指導する先生になれば、何万人もの生徒が助かる」と説得される。現在、関西大学での授業の合間をぬって、全国各地で年間70 校ほどの模擬授業を行う。模擬授業や講演の後は、参加者に取り囲まれて質問攻めに合うため、飛行機に乗り遅れたことは、一度や二度ではない。 「先生方には、『教える』のではなく、『学ばせる』ために、『しかける』大切さや、まず生徒に、英語の体力をつけることをお願いしています。また、英検に合格させるためのテクニックを身につけても、応用がききません。たくさん読む、書く、話す、聞くことをしてこそ、英語の基礎体力がつきます。剣道でいえば、出小手(でごて)を教える前に、しっかりと面を打ち込める力をつけてほしいということです」 研究室には、授業を見学した島根大学の学生たちからの寄せ書きが飾られている。そこには、「英語は生徒の心に潤いや栄養を与えられる教科だ、という田尻先生の言葉が心に残りました」と、書き込まれていた。「生徒の気持ちになって考える」――自信を失くした先生たちには、そんな基本的なことも、見えづらくなっているのかもしれない。「生徒に夢を」と説く田尻先生は、全国の先生自身にも夢を持ってほしいと願っている。 |
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(取材・文・写真 白石あづさ)
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