中村典生
長崎大学 教育学部教授
小学校英語教育学会事務局長、言語文化学会理事、SSI(日本酒サービス研究会・酒匠研究会 連合会)利酒師、俳人協会会員・狩俳句会同人(俳号は中村龍徳〈りゅうとく〉)、前岐阜大学硬式野球部監督など、昼夜を問わず役職多数。専門は英語教育学、第二言語習得。著書多数。
今回は俳句の話をしましょう。
私は10年くらい前から俳句を始めました。最初、何となく気恥ずかしくてこっそりとやっていましたが、やっているうちに楽しくなって、某結社で新人賞もいただいて、今では堂々とやっています。
俳句はご存じのように5・7・5の17音で構成し、季語を入れる、という決まり事があります。これだけだと簡単に思えますが、続けていると実に奥が深く て、たとえば季語が2つあるのは「季重なり」と言い、焦点がぼけるのでよくないとされていますし、「や」とか「かな」という「切れ字」が一句に2つ以上あ るのもリズムを壊すのでよろしくないとされています。また、直接的に感情を表現すると奥行きがなくなる、ともいいます。なかなか難しいものです。
さて、俳句は日本独自の文芸でしたが、昨今は最短の三行詩「Haiku」として海外でも愛好家が増えています。日本語の俳句と違うのは、17音にこだわらないこと、必ずしも季語を入れなくてもいい場合があること、などがあります。
英語俳句についてちょっと考えてみましょう。有名な芭蕉の俳句に「古池や蛙飛びこむ水の音」という句がありますが、さあ、池に飛びこんだ蛙は何匹だったで しょう?と聞かれると困ってしまいますね。自分の感覚では1匹なのですが、日本語は単数と複数の区別をしませんので、1匹ではない解釈も可能です。しかし 単数と複数を区別しなければならない英語ではそうはいきません。どちらかに決めなければなりません。実際、さまざまな人が英訳しているのを見ると、蛙が frogs と複数になっているもの(小泉八雲など)と、a frog と単数になっているもの(新渡戸稲造など)が見られます。単数と複数を区別しない、という日本語のある意味での緩さが、逆に解釈の広がりを生み出している のかも知れませんね。
(September 2012)
小学校英語教育学会事務局長、言語文化学会理事、SSI(日本酒サービス研究会・酒匠研究会 連合会)利酒師、俳人協会会員・狩俳句会同人(俳号は中村龍徳〈りゅうとく〉)、前岐阜大学硬式野球部監督など、昼夜を問わず役職多数。専門は英語教育学、第二言語習得。著書多数。